獨協大学体育会庭球部・通史
◆第一部(1964:昭和39年~1973:昭和48年)
「何事にも無から有を創り出すには、大いなる情熱と理性が必要である。」
1964年4月、獨協大学開学と同時に庭球部も誕生。部長に中島文夫先生就任。
創部にあたり発起人の一人田原明は【我々は他校には無い学問と部活動共に両立でき、誰にでも入部できる真の部をめざし勧誘を始めた】と語っている。
しかし、部員も集まり活動開始したものの、大学構内にテニスコートは無く様々なコートを借りての練習だった。そして3年目に大きな決断をした。
『自分達の手でコートを作ろう!』
大学によるコート造りがいつになるか分からない為、自分達で造ることで大学側に了解を取り、部員全員がアルバイトをして資金を捻出し、コート造りが始まった。
部員自ら鍬を持って掘削機で掘り返された土の塊を細かく砕いて地ならしを手伝った。「荒野がだんだんとテニスコートらしき姿に変身していく様は、無から一つの芸術作品が創られるようであった。この若き情熱が生み出した経験は私たちに大きな勇気と自信を与えてくれた。」と一期生荒木俊勝は語っている。
まさに、無から有を部員達が創り出したのである。
1966年、一期生の田原が神宮テニスクラブで偶然知り合ったご縁で就任した藤園賢雄初代監督は全日本テニス選手権に出場した選手、そして東京都葛飾淨泉寺のご住職でもあった。その人間性と指導によって獨協テニスは大きな飛躍を遂げた。
1973年。その年のリーグ戦で男子が6部から5部、女子が4部から3部にアベック昇格。同年10月の関東学生新進テニス選手権大会を現監督である中村修が全10試合を見事勝ち抜き優勝を果たす。
中村修は「藤園監督の持っていた指導力、監督力が初心者の多い我々獨協大テニス部員の一人一人に内在している、やる気、勇気を多く引きだしてくれたのは確かです。」と後年語っている。
◆第二部(1974:昭和49年~1989:平成元年)
「藤園イズムの継承」
1975年、リーグ戦3部の女子は2部との入替戦まで進出。惜しくも惜敗し昇格はのがしたが、関東リーグ戦での過去の女子最高成績となっている。
1977年、男子はリーグ改編で1~3部が4校から6校制となり5部に自動昇格。しかし、翌年男子5部から6部、女子4部から5部に降格。
1979年に男子が6部から7部へ降格し、男女とも最下部となった。
1981年、状況を打開すべく三期生の山本徹夫が監督に就任し、熱い指導で結果がなかなかでない部員達に、闘争心と自信を植え付けていった。
1987年、遂にその努力が実を結び、男子が入替戦では2日間に渡る激闘を制し8年ぶりとなる6部昇格を果たし、さらに翌年5部へ昇格した。経験者が多く入部したこともあるが、中村修コーチや多くのOBの練習参加等、現役とOBが一体となって意識の高い練習と『絶対に昇格する』という気持ちで山本監督の下、部員全員が切磋琢磨した故の結果といえる。
◆第三部(1990:平成2年~2008:平成20年)
「コート移転問題」
平成に年号が変わったばかりの1990年、男子はリーグ5部から6部に、翌年には再び7部へと降格。
この年の前後に庭球部の活動に大きな影響を与える問題が起こった。それが35周年会館の建設に伴うコート移転問題である。当時のOB会長である一期生荒木俊勝が学友会や大学側に対しての地道な話し合いや、書面での要望書の提出等尽力した結果、キャンパス内の現在の位置にクレーコート4面で整備されることで決着、1998年に完成した。
自分たちの手で造り上げた獨協テニスのアイデンティティーともいえるテニスコートがキャンパスから無くなるという事態は、なんとしても防がなければならなかった。
2002年、創部以来部長として約40年間庭球部を支えてくださった中島文夫先生が勇退し、現部長である香取徹先生が就任した。
2007年にはテニスコートが人工芝に改修された。
◆第四部(2009:平成21年~現在)
「飛躍への道のりとさらなる高みを目指して!」
1990年代の後半から部員の減少が目立ち始め、リーグ戦に出場する人数の確保も危ぶまれる状態に陥っていた。
2009年以降、男子は部員数も増え始め、昇格への機運も高まっていったが、グループリーグ突破が出来ずにいた。その様な中、2012年頃から有力な新入生の入部が続き、6部への昇格が現実味を帯びてきた。「目標の可視化」や「他校分析」を現役とOBが一丸となって実施、各個人が役割を見つけ昇格することへ貪欲なチームへ変わっていった。
その結果、2016年のリーグ戦において7部全勝優勝、入替戦も見事勝利し6部昇格を果たした。同年、獨協大学樅柳会より所澤賞を受賞した。続く翌年も6部リーグを優勝し5部へと昇格。2年連続の昇格を果たした。
2018年は、2年連続昇格したこともあり、3部や2部といった上部校との練習試合を行うようになった。試合を重ねることで徐々に実力を付けていき4部昇格も視野にいれることが出来るようになった。
そこから大学コートの使用制限といった様々な制約がありながらも練習を重ね、その年のリーグ戦5部2位で入替戦に進出。その大一番を9-0で圧勝し、創部初の4部昇格を果たした。
翌2019年のリーグ戦では4部全勝で入替戦に臨んだものの、4-5であと一歩というところで4年連続昇格という快挙を果たすことは出来なかった。
近年の躍進には部員一人一人の努力もあるが、大学の課外活動入試など入試制度の変更による有力な学生の受験機会の増加。庭球部主催の高校生大会(2002年~)、2010年から始めたオール獨協テニス(中学・高校、大学練習会)の実施等、現役とOBが力を合わせた地道な活動の成果といえる。
獨協大学開学と同時に産声をあげた庭球部。創部以来多くの部員がコートで切磋琢磨し、汗を流し、時に涙し、そして笑い。多くの感動もあった56年間であった。まだまだ発展途上の庭球部、現役、OBOG、そして未来の部員の力を結集して、更なる高みを目指し進化し続けていく。
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